モーモールルギャバン 「僕は暗闇で迸る命、若さを叫ぶ」

僕は暗闇で迸る命、若さを叫ぶ

僕は暗闇で迸る命、若さを叫ぶ


そんな言うほど若くない、からこそ若さを叫ぶことが大事なのかもしれませんね。


アレンジ/演奏面で散々やりたい放題やった 「BeVeci Calopueno」 を経て、まー今回もヒネくれたギミックは各所にあるものの、それよりはロックバンドとして元来持つ勢い、あるいはメロディの良さを比較的ストレートに打ち出してきています。前作が強そうな得物なんでもかんでも搭載したゴテゴテの武装形態だとしたら、今回はホラ、新しいアー写でゲイリーは奇抜な衣装だけど乳首が見えてるじゃないですか。そういう感じ。もともとパンティパンティ言いながら自分もパン一になるのが好きな人達なので、裸になった方が本来の持ち味が生きるだろうと。そんな感じでこの新譜は久々に、良い感じです。


冒頭 「スシェンコ・トロブリスキー」 では彼らの世界が地響きを上げて噴火するかのような力強さを見せ、続く 「サノバ・ビッチェ」 は彼らが得意とするファットなディスコビートでフロアを熱狂させる王道路線の最新型。それらと対極にある 「午前二時」 「J・O・E」 などの洒脱な寂寥が沁みるメロディセンス。これらはデビュー以来の確固たる個性として健在なわけですけれど、それが以前よりも直向きな熱量、力み、シリアスな色を帯びていて、ユーモアがありつつも一層タイトな表現として響いてきます。若さ、純情、モラトリアム、そういった題材を力一杯に取り上げることに臆面がない。


そう、やたら臆面が無いのです。 「生きている君の眩しさにただありがとう」 「全ては無限の空のように続くと信じていた」 さらには 「全ての慈愛を今ここで唄う」 とまで歌いきってしまって、結構な大風呂敷広げてるのは諸刃の剣な感がありますが、それくらい言ってしまってもいいのだ!という強気の姿勢、アイデンティティを暴発させてやろうとストラグルしている様子が目に見えるようで、俺は好きです。彼らはもう30代じゃないですか。ここで書かれてる 「若さ」 は物理的にはもう決して戻れない時期で、けれども肉体がいかに老いてしまおうと精神的にはいつまでも若くいられる。ただそれを意識して保つ、ましてや表現として痛々しくさせずに説得力を持たせるには結構な気力が要るわけで。そこに向かって果敢な挑戦をしてるあたりが 「力強さ」 として聴いてる側にも伝わってくるのだなと。これらの楽曲がライブではどう映るのか非常に気になる。


京都出身のスリーピースによる、1年ぶりフルレンス3作目。


Rating: 8.2/10